ブログマスター: 2009年9月アーカイブ

デザイン(5回目)

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石膏デッサンは朝10時から夕方4時まで、週一回で一年間だった。私は美大受験用にと、高校3年の時から近くの絵画教室で石膏デッサンは習ったので、戸惑いはなかった。評価はA,B,C,Dの4段階。成績はBとCしかとれなかった。当時はまだ初歩の初歩だったようだ。今振り返ってみるとこの授業は表現力、形態把握などみた物をしっかりとらえる訓練とそれを二次元に表現する訓練としか、とらまえていなっかったように思う。独断が許されるなら私はこれに、バランス感覚としての比率(比例)

の正確さも頭に入れておかなければとかパース的感覚とかを覚えていく訓練もあったかなと思われる。もちろんそこには形、立体、量、色彩、質感、空間、光などたくさんの学ぶべきテーマがあった。

(つづく)

デザイン散歩(4回目)

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デッサンの授業は年間授業と特別授業そして課題に含まれた授業とに分かれていた。まず、基礎としては木炭デッサン(石膏像)。顔から始まって胸像そして全身と進む。クロッキーの授業もあった。これは毎週ではなかったように記憶しているが定かでない。モデルは生徒が順番制でこなした。3分と1分で最初は大変だったが、夏以降では公園でスケッチしたり動物園でのスケッチと大いに役立った。もう一方で精密デッサンがあった。これはHBから2Hくらいの鉛筆で野菜などを題材に物を観察する訓練をした。この精密デッサンの一環であり、デザインの造形訓練の素材にもなった授業が数回あった。花をいろいろな方向からデッサンをしてそれが終われば、分解しながらそれぞれをスケッチしていく、もちろん色彩もほどこしていく。また、葉っぱの葉脈を虫眼鏡で観察しながらのスケッチなどがあった。しかし精密デッサンの最初の課題として球、正立方体、三角錐にじっくり取り組んだ。一個一個を丹念に、そして最後に3個を構成しての提出だった。次回につづく

デザイン散歩(3回目)

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私の専攻はグラフィックデザインでしたが、私が入学した年からカリキュラムが変わりました。まず一年目はすべてのデザインの基本となる学習を、二年目に専門のグラフィックデザインを学習そして研究科が設けられました。これは建築、インテリア、工業デザインについても同様でした。グラフィックは100余名の学生がおりました。最初の授業で主任の先生は以下のことを述べた。夏までに今の人数が約半数にします。そしてこの中で一生デザインを職業としていく人は2?3人だろうといった厳しいお話だったと記憶しています。そんな話を聞いても、これからの授業内容にすごい興味を持っていた私は、将来のことより目の前のカリキュラムに心が躍っていた。前期の一週間の振り分けは、デッサン、色彩、構成(平面・立体)、図学、レタリングといった内容が中心でした。いま、振り返って一つ一つアナログ時代の勉強をお伝えしたいと思います。(次回はデッサンについて...つづく)

デザイン散歩(2回目)

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家から通えて一番安い専門学校を探すのに必死だった。どうしてこの専門学校を探したのか、いまは記憶が定かでない。でも住まいである京都では探さなかった。就職は大阪でと決めていたこともあって大阪で探した。それが大阪城を身近にみる某専門学校だった。母も心配だったのだろうか、説明会についてきた。そこで対応していただいた事務所の人に、もう一年浪人して大学を受験したらと言われたことを覚えている。でも、経済的にそれは出来なかったこともあったが、具体的にどんなことを勉強し、どんな能力を身につけたらいいのか詳しく調べようとしなかったので美大には執着しなかった。今から考えたら無謀とも思える行動だった。母も私の考えを覆すのは諦め、まあ食いはぐれたら近所の看板屋さんに就職頼んだるわと言ってくれた。当時はまだ、パソコンもDTPという言葉もなかった時代だった。デザインという言葉に夢を走らせていただけだった。今の人みたいに真剣に自分の将来を考えていなかったように思う。失敗したらという思いは全くなかった。次回は核心である専門学校の教育の内容に... つづく

デザイン散歩

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ホームページでお伝えしてから長くかかりましたが、ようやく準備が整いました。まずは、ブログに雑談風に書き進めていって、それに基づいて自分のデザイン考みたいな物に仕上げたいです。私は普通高校を卒業してデザインの専門学校といったごくありふれたコースをたどり、グラフィックデザイナーとして就職。いまも、現役として印刷物の制作に関わっています。高校3年に進んだとき、世の中はデザインブームが始まっていました。亀倉雄策、永井一正、田中一光などが活躍しており、当時若手の旗手だった横尾忠則はサイケデリックの世界を創り出し一世を風靡。そんな時代に多感な高校生だった私は、自分の能力でいけるかどうかといった不安より、何か創る仕事がしたいといった一途な思いだけでグラフィックデザイナーになりたいと、無謀にも進路を決めてしまいました。当然、先生や回りのものは反対でしたが怖い物知らずというんでしょうか?当時の京都市立美術大学を受験。当然受験は失敗、それでもやりたい一心で一番学費の安い専門学校を探し入学しました。 つづく

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